結論:
創価学会に入ることが「時間の無駄」かどうかは、かなり明確に“人それぞれ”です。
ただし同時に、向き・不向きが非常にはっきり分かれる組織でもあります。
以下、
- なぜ「無駄だ」と感じる人がいるのか
- なぜ「無駄ではなかった」と感じる人もいるのか
- どういう人に向いて/向いていないのか
を順序立てて解説します。
①「時間の無駄だった」と感じる人の理由
まず、否定的に感じる側の論理です。
1. 見返りが実感できなかった
多くの人が期待するのは、
- 人生が好転する
- 問題が解決する
- 努力が報われる
ですが、実際には
- 仕事は普通に大変
- 人間関係の悩みも続く
- 題目と現実の因果が分からない
結果として、
「これ、普通に生きてても同じでは?」
と感じる人がいます。
2. 時間拘束が思ったより大きい
- 座談会
- 訪問
- 行事
- 選挙活動
これらが積み重なり、
- 趣味の時間
- 休息
- 家族との時間
が削られると、
「この時間、別のことに使えたのでは」
という後悔につながります。
3. 自分で考える力が弱くなったと感じる
- 迷ったら信心
- 困ったら題目
- 指針に従う
という思考パターンが合わない人は、
「人生を外注していた感じがする」
と振り返ることがあります。
②「無駄ではなかった」と感じる人の理由
一方で、肯定的に評価する人も確実にいます。
1. 孤独を防ぐ機能があった
- 定期的に人と会える
- 誰かが気にかけてくれる
- 居場所がある
特に、
- 地方
- 高齢期
- 専業主婦・退職後
などでは、
「ここがあったから孤立しなかった」
と感じる人がいます。
2. 精神的な支えとして役立った
理屈の正しさよりも、
- 習慣
- 声を出す行為
- 意味づけ
が、
- 不安軽減
- 気持ちの安定
に役立ったという実感を持つ人もいます。
3. 人付き合いや経験が役に立った
- 人前で話す
- 役割を持つ
- 行事を運営する
といった経験を、
「社会経験としては無駄ではなかった」
と評価する人もいます。
③ 決定的な分かれ目は「何を求めていたか」
同じ体験をしても、評価が真逆になる理由はここです。
創価学会に向いている人
- 集団行動が苦にならない
- 明確な価値観・指針が欲しい
- 精神的な拠り所を重視する
- 人とのつながりを最優先したい
👉 このタイプには「無駄ではない」可能性が高い。
創価学会に向いていない人
- 一人の時間が大切
- 批判的思考を保ちたい
- 宗教と距離を置きたい
- 成果を論理的に確認したい
👉 このタイプには「時間の無駄」に感じやすい。
④ 「無駄だった」と感じる人の多くが後から言うこと
興味深い点として、
「入ったこと自体が無駄だった」
というより、
「もっと早く距離を置けばよかった」
と表現する人が多いです。
つまり、
- 途中までは意味があった
- でも惰性で続けすぎた
というケースです。
⑤ 客観的に言える現実的な結論
- 創価学会は「万能な正解」ではない
- しかし「全員にとって無駄」でもない
- 効果は信仰そのものより相性に依存する
一言でまとめると
「時間の無駄かどうかは、
その人が何を価値ある時間と考えるかで決まる」
⑥ もし今、あなたが迷っているなら
判断の軸として、次を自分に問いかけるのが有効です。
- 活動が「義務」になっていないか
- 疑問を持つことを我慢していないか
- 失う時間と得ているものは釣り合っているか
これに正直に答えられれば、
「無駄かどうか」は他人の意見より、かなり明確になります。


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