「ご遺体が自宅に到着すること」を報道が 「無言の帰宅」 と表現する場合、一般の視聴者にとって非常に分かりにくく、時に違和感を抱かせるものになります。
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1. もともとの「帰宅」とのズレ
「帰宅」とは本来、生きている人が自分の家に帰ることを指します。
しかし報道では、亡くなった人のご遺体が自宅に戻ることまで「帰宅」と呼ぶことがあります。
そのため、聞いた人は一瞬「本人が生きて帰ってきたのか?」と誤解する余地があります。
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2. 「無言」という修飾語の違和感
当然ながら、ご遺体は言葉を発することができません。
その「当たり前の事実」をあえて「無言」と形容することで、かえって不自然さや説明不足感が強まります。
本来の「無言の帰宅」は「取材に応じず沈黙した」というニュアンスを持ちますが、遺体にその枠組みを適用すると意味がズレてしまうのです。
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3. 報道上の狙いと受け手側の混乱
報道がこの表現を使う背景には、
「亡くなった人が再び自宅に戻ってきた」という事実をドラマティックに伝えたい
遺族の心情を視聴者に想像させたい
といった狙いがあります。
しかし視聴者にとっては、
生しの境界を曖昧にした表現で分かりにくい
必要以上に感傷的で演出めいた響きを感じる
事実を淡々と伝えていないように映る
という受け止め方になりやすいです。
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4. 文化的背景
日本の報道では、しを直接的に表現することを避け、オブラートに包む傾向があります。
「無言の帰宅」はその一例で、「遺体が帰ってきた」とストレートに言うのではなく、やわらげた表現を採用しているともいえます。
ただし、その「やわらげ方」が逆に理解を難しくしてしまっています。
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5. より分かりやすい表現の可能性
「ご遺体はご自宅に戻りました」
「故人は自宅に安置されました」
「〇〇さんの遺体が自宅に到着しました」
こうした表現の方が事実を明確に伝えられ、誤解を招きにくいです。
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✅ まとめると
「ご遺体が自宅に到着することを『無言の帰宅』と呼ぶ分かりにくさ」は、
1. 「帰宅」という言葉が生者を前提にしている点
2. 「無言」という修飾語が死の事実と重なることで意味のねじれを生む点
3. 感傷的で曖昧な報道表現が、事実伝達より演出に寄っている点
これらの理由によって生じています。
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